Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

老人と宇宙 ジョン・スコルジー

老人と宇宙(そら) (ハヤカワ文庫SF)

老人と宇宙(そら) (ハヤカワ文庫SF)

原題は「OLD MAN'S WAR」なんですね。ずばり「老人の戦争」じゃダメだったんでしょうか?続編の内容も踏まえて?それともヘミングウェイ老人と海」を連想させて親しみやすいから?


ちょうど新しい体、コピーの体に意識を転送というか・・・コピーの体が起動したところです。


昔から引っかかっているんですが、完全なクローンを個人が持てるようになったとして、そのクローンが自分の記憶や物の考え方を引き継げるとして、代わりがあるから大丈夫・・・なんでしょうか?


昔「テラホークス」で司令官?が爆死したんだけどクローンがいたから大丈夫。めでたしめでたしみたいな回があってびっくりしたんですけど、これって外人ならではの発想?


この作品も実にあっさりと視点が主人公から主人公のコピーに移動してしまうんですけど・・・意識の転送?じゃないでしょこれ。コピーには記憶があるから主人公の意識が連続しているように錯覚しているけど、別の個体でしょ、まるっきり。オリジナルの老人は脳死状態でジ・エンドですよ。


個体の生がユニークであることに私がこだわりすぎているんでしょうか?いやいや、何かおかしいよ、これ。


SFマガジンなどの紹介文で戦闘に耐える若い新しい体を与えられるような印象があったので、本作の登場人物たちと共に再生医療かサイボーグ化のようなことを期待していましたが、実際は人格や記憶をコピーされた人造人間の兵士でした。脳を移植するわけでもないし。(まぁ老人の脳じゃあそもそもダメでしょうが)


うーん、これじゃあ第二の人生とはいえないでしょう。なんでわざわざ老人たちの人格や記憶をコピーするのか必要性も分かりません。「スター・ウォーズ」のクローン・トルーパーのように優秀な兵士をベースに体や人格をクローンすれば良いようなきがするんですけど・・・種の生存戦略としての多様性同様に多様な人格を持たせたほうが生残性が高まるという発想なのだとしたら、それもベースをいじって人工的に人格を作ればいいような気がします。


うーん・・・老人が若返って過酷な戦場を戦い抜く話・・・って魅力的に思ったんですが何か違う(^^;)しこりが残ります。


コピー達は若く美化され強靭になった(オリジナルの老人たちの記憶からすれば)体に大はしゃぎで早速セックス三昧(^^;)


つまらないわけではないんです。この作者はいつかこの点について深く掘り下げて描くことがあるんでしょうか?という興味。