Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

アニメ「攻殻機動隊 SAC_2045」 更新:20231002

youtu.be

NetflixオリジナルのフルCGアニメ。シーズン1を観てます。

声優がTVシリーズSACと同じで・・・落ち着くw

タチコマも玉川さんだし。

阪脩大川透と降板や病気休業で代役が決まった声優さんもいて今後は無理かもしれないというのが残念。


#01のサブタイトルの「持続可能戦争」が印象的でした。

ウクライナ紛争は持続可能戦争にしてはいけないですが、ドローンなど無人兵器の増加は確実にその方向に向かってるのではないでしょうか?

日本でもウクライナ紛争後の、経済や生活への影響に対する適応が進んでしまって紛争自体への関心が急速に薄れていってるのを感じます。

政府が経済支援するから勝手に戦争していてくれ、核兵器が使われない限りは問題ない・・・一言でいうとこんな空気。

反転攻勢が始まる直前までは関心が高まっていたと思うんですが、いざ始まってからが大方の期待外れというか、実際に進捗は一般人が思うような目覚ましいものではなく、始まる前とそう変わらないのでは?ということで関心の薄れ方が加速したというか。


国土が危険にさらされたら核兵器の使用も辞さないというロシアとの戦争をどう終わらせたらいいのか・・・

20231001

S1-#11観たんですが、14歳の少年に女性声優を当てたのはミスマッチな気がしますね。ビジュアルと全然合ってない。

なぜ林原めぐみなのか、イメージ的にシンジの緒方さんみたいな声の人の方が向いていたんじゃないのか?

そしてなぜ林原の声づくりが大谷育江みたいなのか?ポケモンアニメのムサシみたいな声だったらまだ近い気がするんですけど?

続きの#12で納得するような変化か何かがあるのか?

江崎プリンという冗談みたいな名前のキャラ、聞いただけでは分かりませんでしたが、潘めぐみ。キャラのビジュアルは・・・「スターオーシャン4」に出てなかった?という感じのちょっとウザかわいいキャラ。伝わる人には伝わるかも。

スターオーシャン4」のキャラデザインは私は嫌いじゃなかったです。ただ、この頃からRPGのお使いクエストが嫌いになってきていて・・・十分には楽しめなかったし、ラストのダンジョンの単調さには怒りさえ感じました(^^;)

20231002

S2観終わりました。

笑い男人形遣いを混ぜた脅威に、クライマックスを個別の11人事件のそれに似せたような・・・SACシリーズの集大成といえば、そうなのかな・・・

銃撃戦含めたアクションシーンも多くて見ごたえはあったんですが、すっきりしない終わり方でモヤモヤ(^^;)

二重の認識とか記憶とか・・・好きじゃないんですよねぇ・・・マルチエンディングも好きじゃないかも、特に誤魔化されたようなハッピーエンドが嫌いというかなぁ。

より摩擦の少ない現実を選ぶって、当然といえば当然なんだけど何か誤魔化されたような気分になる(^^;)

数百万の人間が米帝の致死性ウィルス(ナノマシン)で死に、奪われた米帝の核ミサイルがモスクワに向けて発射されて全世界が核戦争で荒廃してしまった・・・という事実は変わらず、別の可能性の世界を醒めない夢のように見せられている・・・というようなバッドエンドの方がまだ分かりやすかった(^^;)

まあそれだとまんま「マトリックス」になっちゃうんですけどね。

私は、こういう終わり方になったのは、昨今の「バッドエンド」が耐えられない人たちのせいではないかと思ってます。視聴者の圧力によって結末が忖度されるのってポリコレの次に嫌いだな。

そういうのもそのうち、〇〇ハラスメントと名付けられるようになるんじゃないかな。

まあこの作品の終わり方はそういう単純なものじゃないかも知れないですけど。

私には、タカシが空挺部隊に撃たれたエピソードから以降はもう「わかんない」ので(^^;)



江崎プリンが全身義体でゴーストも無く脳も疑似人格を移植されたプロセッサーって、もうタチコマと同じで9課の装備品扱いなのかな?その才能を惜しんだ素子からすれば、プリン自身が言うように「蘇った」で済む話かも知れないです。有能な人材=優秀な装備品なのだから。

機械は成長しないから人より劣るしそれがヒトと機械の差だ、というのは、AIが学習によって人が考えているような限界をいかにやすやすと超えていくかを目の当たりにしている現在ではもう考え方が古いかも知れない。

そもそもこの作品の世界、脳は別の場所に保存されていてリモートで動く全身義体もアンドロイドもあったり、中には脳も機械という人権やら所有権やらどうなってるんだ?と思える存在がゴロゴロしていて社会生活を営んでいるわけで人とモノの区別が曖昧な・・・これが技術によるヒトの在り方の進化の特異点というのか・・・

その次の段階の進化が多重の認識?それぞれのヒトが望む摩擦の少ない現実を認識しながら生きていけるような・・・それは中国の神仙譚の、体は俗界にありながら意識はときどき仙界に遊ぶみたいな仙人のような?

個人的にはそういうのは死後にあればいいなというか、死んだら各人の信仰やら希望に合った世界に意識がシフトできればいいなとは思うんだけど、やっぱり誤魔化されたハッピーエンドのような気もする。