Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

聖書関連

「聖書vs世界史」

hontoで購入してNexus7で読んでますが、聖書の該当部分のある程度の知識がないとピンと来ない内容でやや難易度高いです(^^;)

「聖書の名言100」

koboでクーポンやポイントで結果として0円で購入したものですが、これは無駄だったなぁ。可能性は高いとは思いましたが、これは聖書の言葉を良くて世俗哲学、悪くて著者の人生哲学の押し付け・・・でした。もっとこう民俗学、神話学、聖書文献学などからの検証のようなものが望みだったんですが・・・あるいは雑学を混ぜても良いとは思うんですが。


例えば出エジプト記、神がモーセに言った言葉「わたしは必ずあなたとともにいる」は、神は愛に満ちていてモーセにだけ向けていった言葉じゃないと。誰もが自分に向けられた言葉だと思って「自信をもって、この言葉を胸に抱いて生きていけばいいと思う」んだそうで・・・


うーん、実につまらん(^^;)そういう処世訓みたいな世迷い言は要らんですよ、個人的には。他人の処世訓は所詮自分の役には立たんだろうと思ってますし。


それよりも、これはもしかして「フォースが共にあらんことを」“May the Force be with you”の元になってるのかな?という興味があります。英語で読む方がわかりやすくなるかも?


とか。


同じく出エジプト記「わたしをおいてほかに神があってはならない」は、「文献批判学的にいえば、必ずしも聖書の神は唯一神ではなかったのではないか、という説がある。というよりも、ほかの神があったような記述が散見されるのだ。たとえば、バアルとかアシュトレト(アスタルテ)といった「異教」の神々が聖書のいたるところに見られるのである。」
いや、聖書の神というか、まぁキリスト教徒から見れば「異教」の神になるでしょうが、各民族、各地方には信仰されている神があったはずですよ。「聖書の神」というのが聖書の中に出てくる神というなら色々のはずですが、「聖書」とユダヤ教キリスト教が認める神、聖書の言う神はイェホヴァのみのはずでしょ?


「つまり、複数の神がいることは認めるが、一つの神のみを礼拝する、という選択的一神教が、もともとの旧約時代のスタンスだったと思われる。」
ん?んんん〜、これ何か意味があるのかな?ちょっと分からないw


で、これがどうして「むしろ、この言葉に何かを学ぶとしたら、それは迷いを捨てよ、ということだろう。人はあれこれ迷ったあげくに中途半端な結論に達したり、どっちつかずの思い切りの悪い状況に陥ったりする。信頼出来るものをきちんと見きわめて、ひとつに思い込んだら一点突破主義―それが聖書を奉じる欧米流ということかもしれない。」となるのか?


もういいです。きっと一般的なキリスト教信者は普段教会でこういう話を聞いているんでしょうね。講話というやつです。


この「わたしをおいてほかに神があってはならない」というのは、当時世界ではまだ珍しかった不寛容な唯一神を信奉する一神教の成立に関わる重要な言葉、考えですよね。唯一神の宗教というのは他にもあったかもしれないけど、他の神もついでに信仰するようなことは許さず結果として異教の排斥を行動として生むようになる重要な考えですよね。


まぁあくまで「聖書」を元に聖書の中からしか物を見ない信者の言うことは面白く無いってことです。

口語訳旧約聖書

結果としてまず「聖書」そのものに当たる方が良さそうだということで出エジプト記読んでます。出エジプト記は前にも読んだこともあるしハリウッドのCGアニメの「Egypt」(邦題忘れました)やら映画「十戒」の海が割れるシーンとか、一番親しんでいる部分でもあるんですが、改めて読んでみると・・・主はまことに祟り神でした(^^;)


ファラオがヘブライ人を奴隷化してなかなか解放しないからとはいえ、川や国土を血みどろに変えたり、カエルやイナゴ、疫病で脅かし、初子を人間も動物も皆殺し・・・雲の柱、炎の柱という怪異を起こす。実に怪しき祟り神なんですが(^^;)


人を説得するのにもっと穏便で心に訴えるような奇跡を起こせなかったものか・・・。しかもファラオの心を頑なにさせているのも実はこのイスラエルの神だという・・・何故か、それはファラオを使って自分の力の強さ、恐ろしさを印象づけるため知らしめるためだというのだから傲慢で厄介な神です(^^;)


それに、自分の言葉を伝えさせるモーセを殺そうとしてますね、一度。モーセがあれこれ言い訳して誰か他の人にイスラエルびとのエジプト脱出を説得させてくれとゴネたのがよほど気に入らなかったんでしょうか?出エジプト記 第4章24節「モーセが途中で宿っている時、主は彼に会って彼を殺そうとされた」これって神の言葉をヘブライ人たちに伝えに行く途中のことですよw早くもモーセは見限られてしまっているのか?


ところが唐突にその時モーセの妻のチッポラは「男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけて言った「あなたはまことに、わたしにとって血の花婿です」」と言ったそうな。


出エジプト記 第4章26節「そこで、主はモーセをゆるされた」許しちゃうんだw


聖書にありがちですけどこの部分は前後の脈絡が薄くて、ただ当時すでに風習として存在していた「割礼」の起源や理由の説明のようなものでしょうね。本当に説明になっているかどうかはともかく。割礼で切り取った皮を足につけるってどんな絵面だ?w


マナの存在も面白いですよね。濡れた地面から析出するように現われる薄い鱗のようなもの。陽に当たると溶けて薄い霜のようにも見え、ヘブライ人が砂漠を放浪する40年の間、主食になったもの。ある種の虫の分泌物が乾いた甘露ではないかという説もありますが・・・特徴が完全には一致しないそうで。


と、下手な解説書を読むより聖書そのものの方が奇怪でファンタスティックで楽しめます。