魔法少女まどか☆マギカ
ひどいけど・・・こう言って良ければ・・・美しい話でした。
希望から絶望への相転移が産み出すエネルギーねぇ。ある意味、無から有を産み出すことができるくらいに評価されてるわけですが。
常々ゲームとか読書とか趣味に使ってる労力が価値を産まないかなぁと思ってはいます。むしろ何故これほどの意思の集中や時間の消費に意味が無いのか、徹底して無価値なのか不思議に感じるほど(^^;)
いっそ「マトリックス」の世界の生体電池の方が生きている意味と価値があるような・・・あれは実に経済的で環境にやさしいですね(^^;)
何をしようが・・・例えば北の某国の独裁者として核ミサイルを撃ったとしても実際には電脳空間での妄想で何も壊さないし何も汚さないわけだし。「マトリックス」の電脳世界はもう少し複雑でその世界での死は現実の死だったんでしたっけ。五感のシミュレーションがリアリティを産むには他者と、その共同幻想が必要だと考えられたからなのかな?もっと唯我論的に個々人を閉鎖された夢の空間に閉じ込めてしまえばシステムはもっと簡単なものになっただろうに。ある意味、機械が人間を尊重していたわけですよね。あの世界では。
そもそもあの世界が核戦争で荒廃した外界からの逃げ場としてかつての文明社会を続けていけるという幻想の中で生きられるように造られたせいでメインフレームが人間のために存在していたということなんでしょう。だからネオたちを助けるオラクルやセラフィムのようなプログラムもあったんですね。
さて、キュウベエのインキュベイター(魔女の保育係?)としての役割が語られて明らかになったこともあれば、謎が深まったこともあります。前から思ってたんですが・・・何故、奇跡を起こすことが可能なのか?それって現実に起きていることなのか?
人の感情を弄ぶには夢を見せるだけでも十分だし、どうやってか実際に奇跡を起こすよりも、余程経済的だと思うんですけど・・・上記のような意味で。まぁ宇宙を熱死や枯死から救うためにエネルギーを補うなんて技術自体が奇跡や魔法のようですけどね。