Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

佐木隆三「なぜ家族は殺し合ったのか」


つい先日控訴審の判決があった凄惨な事件。監禁されていた少女が逃げ出して事件が発覚したのは2002年。発覚したといっても当初は監禁事件だったものが一家惨殺、遺体損壊・遺棄へと犯行が明るみになっていったものですが・・・まだ終わってないんですね。


佐木隆三「なぜ家族は殺し合ったのか」も2003年に「少女監禁-「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか」として出版したものに2005年の公判での検察側による死刑の求刑までを加筆した形で出版されたもの。


今回の控訴審では男が死刑のまま女が無期懲役に。男の方の控訴は棄却。このまま男の死刑が確定したらまた加筆されて再出版されるんじゃないでしょうかねぇ。


これ読んで流れを理解しても、やっぱり「どうして皆いいなりに?」という疑問は解けません。男に服従させられて自分の家族の殺害や遺体の処理を実行した女が特殊だったのか?というとそうでも無さそうで・・・結局死亡に追い込まれるが自分の妻を絞殺したのは元警察官の壮年の男性で、最初は主犯の男に良いようにされている妻の実家の家族を救うために乗り込んできたのが、「ミイラ取りがミイラに」を実地で行く結果になってしまってますし。


主犯の男が使ったのは「負い目」と「通電」。「負い目」に付け込んでクサビを打ち込むように精神に小さなとっかかりを得ると暴力(といっても特に力が強いわけでもないのに)とただの電気コードを使った「通電」で支配を広げていく不思議。暴力団がバックにいるというハッタリも効いていたかも知れないけど、それにしても・・・。


この本を読んでも暴力団とのつながりはわずか(組長と顔見知り)に思えるし、「霞っ子クラブの裁判傍聴記」(http://bc.kasumikko.com/?cid=9441)を見ても出てこない・・・しかし、金の流れは怪しげ。十分に追求されているんだろうか?アパート、マンションをいくつも使っていてその住居費は大きかっただろうけれども、金の使い道が主犯の男が悪徳商法でフトンを押し売りしていた頃から怪しい気がするんだけど。


「通電」といえば「ランボー2」で旧ソ連の将校が好んで使ったみたいだし、「24」でも国務長官の強引な尋問に使われていたかな。


「北九州監禁殺人事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%9B%A3%E7%A6%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

霞っ子クラブの裁判傍聴記」(http://bc.kasumikko.com/?cid=9441

北九州市の監禁・殺人事件」(http://web.archive.org/web/20041122015617/kyushu.yomiuri.co.jp/special/kankin/kankinmain.htm


それにしても、こういうのを読んでどういう感想を持つのが健全なんだろうか・・・所詮、家族の絆はもろいもの・・・か?それとも。脆いからこそ大切にしなければ・・・か?読んだり事件を追ううちにこちらも麻痺というかスレというか、自分の人間性があやふやになってくるような・・・。


ちなみに佐木隆三「なぜ家族は殺し合ったのか」という本は公判記録の検察の論告を噛み砕いただけという文章が主で自分で取材したわけじゃないですね。死体は綺麗さっぱり処分されているので被告である証人と犯行に関わらされたときに未成年だった元少女の証言などが頼りなわけで取材自体が難しいとは思いますが、あまり労力の感じられない本だという印象はあります。