Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

泉鏡花 「伯爵の釵」他


青空文庫にある泉鏡花の作品は全部落としてCLIE用のメモリースティックに入れてあります。


今回はその中の「外科室」「義血侠血」「伯爵の釵(かんざし)」など読みました。

「外科室」


「外科室」は学生の頃読んだことがあるんですが、以前の印象はそんなに良いものではありませんでした。泉鏡花の独特の倫理観になじめず、何故?どうして?単に突飛な展開としか思わなかったんですが・・・


最近、泉鏡花の「愛と婚姻について」を読んでから理解が深まったというか・・・慣れたというか・・・「外科室」は非常に短い文章ですが、一読、良くも悪くも強烈な印象が残るものではあります。発表当時のことを想像してみるとその衝撃、反響はすごかったでしょう。現在でいえば・・・匹敵するものをちょっと思いつきませんが「史上最年少の芥川賞受賞作家誕生」などとは比べ物にならない大きな事件だったでしょう。

「義血侠血」


岩波書店の「泉鏡花 小説・戯曲傑作選」が出たときに戯曲版の「滝の白糸」を読んだことがあるはずですが・・・同じ題材でも「義血侠血」は「外科室」に匹敵するというか同じ要素を含んだ強烈なものですね。読んでみると「義侠」の間に「血」の字を挟んだ表題に込められた創意がじんわりと心地よく感じられます。


前半のスピード感、後半の凄まじさ、結末の無常感。大衆小説というのはこうでなければという、ちょっとチープだけどはったりの利いた面白みがあります。

「伯爵の釵」


これは今回初めて読みました。雨乞いの生贄というと子供向けの昔話風に理解している分には、竜神や池の主の嫁になるとか、食われるとか・・・でしょうが、泉鏡花の作品中では儀礼的な解釈+猟奇的興味で「夜叉ヶ池」でも「伯爵の釵」でも美女が裸に剥かれて牛に跨がされるとか、群集の目の前で半裸にされるような辱めを受けるようですね。


どちらも雨乞いを訴える相手が女神(おんながみ)だからでしょうか?神聖視された山に女人が入るのを猟師などが嫌うというのは、山神が女神なので女性に嫉妬するという、あるいは血の穢れを嫌うからだそうですが・・・


また「美女と野獣」ではありませんが、泉鏡花には美女と醜い男の取り合わせは「高野聖」をはじめ数多くありますが、この「伯爵の釵」の法師はとりわけ厭わしいもので、「魔」そのものに思えます。


しかし泉鏡花の幻想的な作品で「神」と「魔」は紙一重で、雨乞いの相手である白山の姫神も「魔」だけど「神」です。仏教に深く帰依している印象を受ける泉鏡花ですが、「神」「仏」「魔」をどのように扱っているか調べてみるのも面白いかも知れませんね。「神仏」とはいいますが、日本土着の「神」は「魔」と区別しているようでいてしていないような・・・。人が魔道に入って縁しだいで「神」にもなり「魔」にもなり、というのは「草迷宮」にありましたし。


平野俊弘 「吸血姫 美夕」の「神魔(しんま)」というのは言い得て「妙」とも思います。