Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

「白鯨」ハーマン・メルヴィル

グーテンベルク21版 下巻を読了。当然というか問題点が数カ所ありました。

・26% 言ったょうに -> よ
・37% ずううしく -> ずうずうしく
・49% おおおれながら -> おおわれながら
・82% 従労 -> 徒労
・90% してきそうた -> だ
・95% 生まれなから -> が


気がついた範囲では下巻は意味が正しく伝わらないような大きな問題はなさそうでしたが単に見落としてるだけかも知れません。


ひとつ気になったのが「柔らかい足の鳥」“soft toed fowls”で、これはもしかしたら海鳥の名称なんじゃないかと思ったんですが、ネットでもなかなか見つかりません。アメリカの船員たちが使う俗称か何かでしょうか?


「白鯨」昔原作を読んだつもりでいたけどラストの方、あまり記憶に無い展開でした。映画の印象が強かったのかなぁ。実は読んでなかったのかも。


鯨の雑学知識は心境次第では退屈で途中で投げ出す可能性もありそうなほど分量が多く、一般向けの鯨の博物誌を一冊内包してるんじゃないかと。


今回は興味を保ちながら読むことが出来ましたが。


構成としては映画の方が原作のドラマの部分を継ぎ合わせて改変しているので娯楽作品としては映画のシナリオの方が緊密でテンポも良くマシだろうと思わせますが、最良と思える1954年のジョン・フォード版でも、個人的に気に入らないのは・・・エイハブとエイハブが個人で雇っている?拝火教徒のフェダラーとの関係が省略されていて、モビー・ディックの背に縛り付けられて手招きするのがエイハブになっていることとか。


あれはあれで印象的で映画の方を先に知っているからか違和感も無いんですが、原作をかなり根本的な意味において蔑ろにしているのは確かです。


それにしても、前半は語り手が実に饒舌。饒舌すぎてうざいくらいに史実や文学を対象にした引用や隠喩が豊富。豊富ですがすでに現代人にはピンと来ない程古いので何のことやら分からないレベル。


こういっては何ですが、娯楽作品としてみた場合の出来は良くないですねぇ。素材は良い物が揃っているんですが。


解説にもあるように前半と後半で書き方(手法)ががらっと違っていて後半は芝居の台本みたいに断片的で、誰かに聴かせるためのような不自然なモノローグも多いです。


クライマックス直前の第132章「交響曲」(エイハブがスターバックに瞳をのぞかせてくれという章)以降は気に入りました。


総じてアメリ近代文学を代表するような作品かどうか疑問。メルヴィルが敬愛したホーソーンの作品との類似性から暗示、もしくは象徴を認めることは妥当かもしれないけど、野生動物と人間の対決を描いた一種の動物文学として読むほうが自然だと私は思いますし、「白鯨」にはもっと深い意味があるというのなら、危険な動物や自然と対峙する人間を描く作品はすべて象徴的な作品と言っても良いでしょう。そういう読み方にあまり意味があるとも思われません。


モビー・ディックを執拗に追うことでエイハブが神と運命に挑んで復讐しようとする姿に当時(忘れ去られていたメルヴィルが再評価された当時)は深い意味、もしくは先駆者としての価値が感じられたんでしょうか?


個人的には発表当時は見向きもされなかったというのは当然の評価だったかも(^^;)とも思います。