Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

DEATH NOTE


初めて読みました。1-5巻まで読んだんですが、面白い。コロンボ・タイプで犯罪者の側からやることやった後の追求者との推理合戦というか心理劇をやるサスペンスもので、私の好みです。


推理物にはそうではなく起きた犯罪から犯人を推理するものがありますが、特にアガサ・クリスティー・タイプは苦手というか嫌いです。読んだだけで読者が犯人を当てられるようでは、意外性が無いので決定的な証拠なりなんなりは最後の最後まで読者に隠されていることが多く、推理とは名ばかりのものがほとんどですので・・・。「名探偵コナン」もそうですが、主人公のコナンだけ気づいている決定的な証拠なり状況ってのは・・・それでどうやって推理しろと?読者は結局推理しているような錯覚を感じているだけです。


推理というよりすぐれた好敵手同士の虚虚実実の駆け引きが面白い「DEATH NOTE」。隠し事が暴かれるのではないかというハラハラドキドキ感が良いですね。


詳しく見ていくと構想に柔軟性を持たせるためや、また矛盾を吸収させて破綻を回避するクッションのような仕掛けがいくつかあります。いわゆるご都合主義というやつですが・・・


その最たるものは、デスノート。名前を書いた相手に死をもたらすデスノートは面白い仕掛けではありますが、その機能やルールは一度に明らかにされず、小出しに出てきます。本来の持ち主の死神でさえもその機能、ルールのすべては知らないという狡い仕掛け。作者は物語の展開に必要なだけ機能やルールを追加できます。


死神の存在。これはどちらかというと主人公をひとりにしない目的がメインでしょうか?デスノートの力の性格から、理知的な持ち主なら誰にも相談などせず自分ひとりで事を行うでしょう。ひとりで計画し、ひとりで実行することが可能だし、その方が完全犯罪を行うにはいちばん安全ですから。となると、マンガにするとひたすら地味でしょうねぇ。


デスノートは死神が持ち込んだものだから死神が出てくるのは当たり前といいたくなりますが、デスノートを使わずに、人の名前と顔が分かれば念じるだけで殺せるとか、人形など呪物を使って殺せるとか死神など絡まずに同じ設定をしたときどんなマンガになるか考えてみれば、リュークやレムがいなくなるだけで随分と寂しくなることは明らかです。小説には向いていそうですが。


「L」との初対決の時の強引さ。TVで「犯罪者」呼ばわりされたライトがいくら救世主気取りだったからといっていきなり、TVの向こうの「L」(の身代わり)を殺してしまうというのは唐突でしたが・・・これを無理にでもライトにやらせないと、容疑者探しを世界中から日本のライトの周辺に絞り込むのにとんでもなく時間がかかって読者が飽きてしまったでしょう。


それらのせいで読者にも先の展開をなかなか予想させず意外な展開をもたらす要因になっているので、それらが物語の展開に対してマイナスではなくてプラスに働いているといえるでしょう。


これから先も楽しみです。