Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

パプリカ


DISCASで借りて見ました。他人の夢に侵入して体験することができる装置・・・でいいのかな、が悪用されて誇大妄想狂の夢を流し込まれて狂わされたり、装置を着けていない一般人までが夢と現実が混ざり合う事態に巻き込まれたりと騒ぎが大きくなっていきます。


劇場版だからいつもより予算をかけて手間暇をかけた(コストに見合った収益はあったのかな?)というのもありますが、マッドハウス、というか安藤雅司の緻密な作画がいいですねぇ。


林原めぐみのセリフには字幕が付いてましたが、劇場ではあの声質が聞こえにくかったんでしょうかねぇ。なんだかそういうシチュエーションに覚えがあるような。DVDではそれほど聞きにくくは無かったですが。


平沢進の音楽は相変わらず平沢進でした(^^)最近の日本のポップスと同様、歌詞の意味半分、歌詞の音半分の魅力が合わさったもので、それならばもっと別の単語を使っても良さそうなのにやはり好みというか個性というか似たような単語を連ねていて、それが確かに平沢テイストのようなものになっています。


夢は単に記憶の断片の繋ぎ合わせだけでなく、不安や願望がストレートに現れたり日常感じている欠乏の埋め合わせ(いわゆる補償)だったりすると思います。夢と現実の関係はそのようなもので、夢の材料は主に現実の体験の記憶から提供されていると考えるとある程度分かりやすくなります。現実の体験の記憶に無い要素は絶対に現れないのか?というのは難しい問題なので置くとして・・・


「パプリカ」を見て、この現実の体験の記憶というやつに興味が沸きました。極端な例として現代人と原始人の夢は、きっとかなり違うんでしょうね。テレビもラジオも本も無い時代、彼らの見る夢はどんなものだったんでしょう。


現代人の現実の体験の記憶というやつはテレビやラジオ、本、映画などによってかなり怪しげになっていることが想像できます。私は子供の頃、ハマープロのモンスター映画なんかに影響された怖い夢というのを時々見てました。登場人物は身近の人間でしたが、皆、吸血鬼になっていたりとか(^^;)


登場人物の一人、粉川警部の見る夢も映画の断片の接ぎ合わせだったりします。実際には体験していなくても映像などで疑似体験した記憶が夢の中では生々しい実感を伴うことはあることで。疑似体験も体験に含まれるとなると、現実と非現実の境が曖昧になりがちなっても不思議は無いなと思うんですが・・・その違いはきっと記憶に依存しているんでしょうね。実際の体験では無いと記憶している・・・概ね、そんな感じじゃないんでしょうか。


だから記憶に障害が出てくる痴呆老人などは、もう現実と非現実(実際に体験していないこと)の区別が付かないのでつじつまの合わないことをよく言います。虚言癖と言ってしまっては可哀相ですが間違った思い込みが多く、しかも強いものです。


何となく書き散らしてみましたが、夢や現実の定義などについては興味があるので今後も言及することがあるでしょう。


ところで、ラスト、パプリカが悪夢喰らいの獏のように理事長の黒い夢を吸い尽くすわけですが、暗い夢に覆われた理事長の心象世界が投影されたような現実が文字通り「打破」された瞬間がTV版エヴァンゲリオンのシンジの覚醒のようでw(演出というか表現的には違いますが)印象的でした。