なるほどと思う部分もありましたが、それはたとえばカール・ポパーの「反証主義」とかオウム信者が何故麻原を崇拝したのかなど他の著作からの引用が多かったように思います。
養老先生の主張は、個性重視の欺瞞とやらにしても納得いきませんでした。
確かに個性重視を標榜する文部科学省の指導要領というかやることの多くがおかしいとは思います。おかげで子供たち一般の学力、教養は落ちる一方。学校で不足した内容は塾などで補うか自分で努力するしかなく、そうでない児童との知的貧富の差は広がる一方。
しかし、それは養老先生の言うような「人は変転し情報は不変」などというおかしな理屈は関係ないと思います。その例としている「昔の人はちゃんと分かっていた」というのもギリシャ哲学の断章やら「平家物語」「方丈記」、芥川龍之介の「藪の中」や故事ことわざの自己流解釈ときては怪しいものです。
個人的におかしいと思われる主張は他にもいくつかありますが・・・たとえばNHK批判。
報道機関なんだから「公平・客観・中立」をモットーにしないでどうするんでしょう?実際にそのモットーどおりにできるかできないかは別としても建前はそうでなければ大問題でしょう。
鈴木宗男報道にしたって、NHKに何か落ち度があったんでしょうか?決め付けているというのが気に入らないようですが、検察庁など、その発言に責任を持つべき第三者の発表を伝えているだけでしょうから、そこには曖昧な推測やNHK自身の主張など混ざっては逆にまずいので断定ということになるはずです。他に何を期待すべきなんでしょう?
NHKを「正しさ」の胡散臭さや「一元論」のはびこりの例とするのは適当ではないと思いました。
「イチローの秘密」について
イチローの反応速度の速さを脳関係の学者らしく、シナプスの途中経路を何らかの手段ですっとばしているのではないか?と言ってるのですが・・・そんな量子論的ジャンプかオカルトみたいなことを言わずとも・・・私は野球マンガ(ひぐちアサ「おおきく振りかぶって」)にあったように、投手のフォーム、特にボールの離れた高さや位置などの細かな情報を見分けてボールの軌道を予測して、それを打つために身体の制御を正確精密に行う能力が非常に優れているのだと思いますけど。
ただ養老先生が実際にそういったシナプスなどの神経伝達経路のバイパスの実例やその仮説を実証できそうな例を知っていて検証待ちという可能性もあるかも知れませんが。
「合理化の末路」について
「以前なら、十軒で耕していた田んぼを今は一軒でやっている。そうすると、九家族は遊んでいるわけです。」・・・!?多分コメ農家を批判しているわけではなくて、結果を考えずに合理化を進めるのは良くないと言いたいのでしょうが、ドキッとします。
実際には遊ぶどころの話ではなかったのではないでしょうか?コメの生産量が増えた結果が米価の下落であり、国の減反政策であり、田を畑に転用したものの上手くいかずに農機具などのコストがそのまま借金として重くのしかかってやむを得ず農家を廃業という例も多いはずですから。
しかし、「この余ってきたやつは働かないでいいのか。」などと続けられると、言わんとするところと養老先生の「常識」がますます怪しく感じられてきます。
さて、既に読了した人には蛇足でしょうが、「バカの壁」中でポイントかなと思われる点について
「バカの壁」とは
「バカの壁」という題名は魅力的です。養老先生のネームバリューとの相乗効果で、この題名がベストセラーの一因になっていることは間違いないでしょう。
私自身、「バカの壁」という題名から漠然とした先入観を持っていました。「バカの壁」とは世間で流通している「常識」そのもので養老先生がその「常識」の胡散臭さを切りまくる・・・という先入観でした。
だって世間の「常識」ってなんだかワルモノというイメージが無いですか?「少年ジャンプ」など少年向けマンガをはじめとして連続ドラマなどなど、「常識」に囚われてはいけないというメッセージが溢れかえっているように思います。
が、ちょっと違いました。第一章や最終章の「人間の常識」でもそうですが、「常識」こそが大事、養老先生言うところの最近はびこる「一元論」に代わるべき「究極の普遍性」が「常識」なんだと言ってるわけです。
「バカの壁」と呼ばれているのは、「常識」ではない「知識」、「知っている」と思い込んでいることのようです。
じゃあその「常識」って具体的に何だ?ですが、「常識」って実は難しそう。
養老先生は自分が扱ってきた学生の一部を捕まえて「常識」がずれてると槍玉に挙げ、おまけに「常識」を教わろうとするのは間違い、言葉で説明して分かるものではないみたいなことを言ってしまってるし。これじゃあますます分かりません。
ただ養老先生は「常識」を持っている「らしい」ので、養老先生のご意見がその「常識」の数々「らしい」んですが・・・私には上にも書いたようないくつか疑問に思う点が・・・
まぁ読書というのは読者個々人の知識や教養ってやつに左右されますから、私には理解できない部分があるというのは不思議でもなんでもないですが・・・、「!?」という部分はどうしてよいやら。
「都市化=情報化=脳化」について
「情報化=脳化」というのは分かります。リアリティの変化というか情報化された現実には実体の裏づけが無い可能性があるということでしょう。それが何故イコール都市化なのか?ということですが、第八章の「実の経済」という節を読むとそれが生産手段(農家など)を含まない消費のみの経済活動が行われる場が都市であり、虚であるということのようです。
金銭、貨幣という国家の制度が定めた数字がやり取りされるのが虚の経済で、実際には石油などのエネルギーが消費されているので、エネルギー本位制とでもみなすのが経済の実態にふさわしいだろうということです。
偶然ですが、篠房六郎「篠房六郎短編集 〜こども生物兵器〜」の「空談師」にも、「情報化が進むことは社会全体が脳化する事と同義であると聞いたことがある」という一節がありました。
要するに、虚と実にもっと敏感になれということでしょうかね。