「戦国時代に「軍師」はいたのか?」という考証は面白かったです。戦国時代に「軍師」という単語自体一般的ではなかったのではないか?後に軍師と呼ばれた代表格の山本勘助でさえも江戸時代に編纂された「甲陽軍鑑」で軍師とは呼ばれてはおらず、江戸時代に日本に入ってきたとされる「三国志演義」、その影響を受けた近松浄瑠璃「信州川中島合戦」によって「軍師」という概念が一般化していったのではないか?ということでした。
浄瑠璃の「信州川中島合戦」というのは武田信玄を劉備、山本勘助を参謀除庶、上杉謙信を曹操、直江実綱をその参謀程いく(漢字が表示されず)に重ねて「三国志演義」のエピソードをコピーしているものだそうで、諸葛孔明のエピソードも混ざっていたりするということでどんなものか読んでみたいものです(^^;)
大河ドラマ「軍師官兵衛」の中でも既に木下藤吉郎が竹中半兵衛を信長に仕官するように勧めるときに「軍師」と呼んでしまってますが、この「歴史読本2013年5月号」の別の記事で秀吉が断られながら半兵衛を勧誘して三度目に、じゃあ信長にではなく秀吉に仕えますという「木下藤吉郎三顧の礼」の話は「絵本太閤記」中の全くの創作で「三国志」の諸葛孔明を迎える劉備の三顧の礼のエピソードをパクったものだとありますね。
大河ドラマも含めて歴史ドラマというのは面白いけどあまり好きになれないのは、史実と虚構がごっちゃにしていることですね。歴史小説もそうです。菊池寛の合戦物は小説という体裁ではなくドラマ性に欠ける代わりに創作は少なそうなので安心して読めましたが、吉川英治や山岡荘八はどうか?また例えば日露戦争についても児島襄の方が司馬遼太郎よりも信用できるだろう・・・ということです。
「軍師官兵衛」というタイトルも、現代人には通用するけど黒田官兵衛本人が活躍していた時代には「軍師」?ナニソレ?って感じなんでしょうね。