Blog:Neutron Star

tma1のブログ 「試行錯誤」・・・私の好きな言葉です

「日露戦争(五)」児島襄

読了しました。小村vsウィッテの戦い、堪能しましたw。ウィッテ、策謀家で狡猾。ですが、というか故に有能。ロシヤ人としても大柄なウィッテに対する小柄な小村の様子は、確かに巨熊に立ち向かう鷹の如し。


でもロシヤ側全権がウィッテでなかったら・・・多分講和はならず戦争は続き、日本は負けていただろうと思います。だから日露戦争に英雄がいたとすれば、東郷平八郎小村寿太郎、そしてセルゲイ・ウィッテだと個人的には思います。
追記:誤解されないように書いておきますが、ウィッテは自国の利益のことを考えて講和を目指したのであって日本の利益などこれっぽっちも考えてませんでした。ただ独自の考えと意思を持ってロシヤ皇帝と列強の思惑と日本の小村を相手に困難な駆け引きを行なって日本には講和をロシヤには体面の保持と自分自身には自分が考えるベストな着地点を得たという事ですごい人だと思うわけです。


貴族で生来傲岸不遜な本心を隠してアメリカのマスコミを通じて世論を味方につけ、ひいては日本びいきと思われた米大統領ルーズベルトを動かそうと愛想を振りまくウィッテでしたが・・・、さて実際ルーズベルトはその影響を受けたのかどうか?ちょっと気になるところです。


本書ではルーズベルトが小村や金子などが知らないところでアメリカの議会や要人からどんな影響を受けたかはほとんど分からないので、結局、「賠償金」獲得はルーズベルト本人の趣味に合わないから本気で協力してくれなかった・・・ように見えましたが。


最終的に「賠償金」を諦めてでも戦争を中止にせざるを得なかったのは・・・(良質な)兵が不足し、継戦のための金が不足したせいで多少講和の条件が不利でも止めざるを得なかったわけですが、こんなことは開戦当時に分かっていなければいけなかったはず。


日本とロシヤの本来の国力の差から、いざ戦争するつもりで準備を始めたら後になるほど勝ち目がなくなるのは当然なので、大国を相手にする小国の戦争というのはその可能性が生じたら即開戦して一撃した後に速やかに講和に持ち込む・・・という発想になるのかも知れません。


日露戦争も太平洋戦争も全く同じ理屈だったんですよね。今始めれば一年はなんとか戦えるので今やろうと・・・。